駐在員雑感(第47回)「【差不多】という概念」
- 投稿日:2008.03.24
- 002:職員コラム
2人の日系企業の方から下記のような話を伺いました。
【日系製造業の方の話】
「「差不多」という中国語があります。意味は「ほとんど同じ」「(ある基準に)ほぼ達している、ほぼ匹敵する」という意味ですが、2つのものは、ほぼ同じでもあくまでも「違う」ということです。」「この「差不多」が製造業の現場でまかり通ってしまう場合があります。この場合、精密機械、部品等には不良品が相次ぐのですが、中国人の概念では「差不多」は、合格点という意識があるようで、品質管理を徹底するのに非常に苦労します。」と話されました。
細かな、外観だけでは分からない詳細部分の仕上げ、ある意味の「こだわり」といえる部分があって初めて日本製の性能のよい部品となるのでしょう。この「こだわり」は、「差不多」の概念とは対極をなすものなのでしょう。
【日本料理店の店長の話】
「料理の味について、日本人がしっかり管理をして指導している間は問題ないが、日本人がいなくなると、調味料や食材の管理などについて取扱いがずさんになり、「差不多」がまかり通る。結局、味が一定せず、教えた味とは全く違った味になってしまうことがある。再度指導を試みるが、これが中国人には合う味だと主張し、改善しようとせず、最後には客が来なくなってしまう。」と話されました。
料理については、それぞれの好みはあると思いますが、日本料理もやはり「差不多」でいいということであれば、一定した味のレベルを保つことは難しく、奥の深い、繊細な味はだせないのかもしれません。料理は、機械部品と違い、人の感性に訴えるものなので、日本料理でも中国人に合うように改良された日本料理もまたひとつの文化ではありますが、あまりにも「差不多」がまかり通るようでは、上記の店のように客が来なくなってしまうのでしょう。
いずれにしても、職人技といわれるような技術や感覚が必要な領域では、「差不多」は許されないということであり、これをしっかり理解し、モノづくりをしているのが日本人なのかなあと思いました。
一方、大陸中国では、細かいことにいちいち構っていられないと言う事はあるのかもしれません。広大な大地、世界一の人口を抱え、細部にこだわっていたら物事が進まないということはいえるかもしれません。おかれている環境から考えて、緻密で繊細な「こだわり」で仕事を進めることは不得手なのかもしれません。
大きな枠組みで物事を捉え、内部の詳細についてはその枠の中に納まっていればそれでOK。細かいところはあまり気にせず、悠久の大河「揚子江」が流れるがごとく、すべてを包み込んでゆっくりと目的地、目標に向かって事を進めてゆく。そして最後には最終目的である海へと届く。中間の細かな部分は紆余曲折があってもあまり気にしない。「これで、すべて結果オーライ。問題ないだろう」といった感じでしょうか?
そのせいか、中国では不思議なことに、終わってみれば、なんとなくうまく行ってしまったなあ。その途中の議論や騒動は何だったのかと思わされることが多いと感じます。細かなこと一つ一つが規定で決まっており、もしそのひとつでも外れるとすべてがうまく行かなくなることが多い日本とは正反対です。
考え方・感覚は、日本と中国で異なっていてあたりまえで、どちらの考え方が正しいということは言えません。お互いに相手の考え方を理解して、そのギャップを埋める努力をすべきなのでしょう。
しかし、頭では分かっていても、いざ自分の目の前にある現実を見ると、どうしても日本のものさしを最優先し、物事を考えてしまう自分がいるのです。 私は、まだまだ異文化をしっかり理解し、許容できる、「国際人」には程遠いことを自覚したような気がしました。
2008年3月24日
福島県上海事務所 安達和久