駐在員雑感(第49回)「〝外灘〟の光と影」
- 投稿日:2009.01.05
- 002:職員コラム
〝外灘〟(ワイタン、英語名バンド)とは、上海市内を流れる黄浦江西岸エリア一帯を指します。〝外灘〟のビル群は、1900年代初期に建設された歴史的建造物です。現在〝外灘〟は、その歴史的な建物を利用した高級ホテルやブランドショップに姿を変え、上海の観光、商業の中心地としてその存在感を高めています。黄浦江対岸(浦東地区)にはアジア一の高さを誇り、上海のシンボル的存在である〝東方明珠塔〟など浦東高層ビル群を望むことができます。週末の夜ともなれば、その高層ビル群や歴史的建造物がライトアップされ、観光客や観光客目当ての露天商でごった返し、上海一の観光スポットとして賑わいます。
今は、観光客や買い物客で賑わっていますが、〝外灘〟は上海の歴史を知る上で欠かすことの出来ない存在です。 1840年から1842年にかけ、当時の清王朝とイギリスは〝アヘン戦争〟を繰り広げていました。イギリスに敗れた清は1842年の南京条約により、イギリスに対し多額の賠償金支払いと香港譲渡、国内の5港(広東、厦門、福州、寧波、上海)の開放など不平等条約をすることと締結することとなったのです。〝アヘン戦争〟に敗れて海外列強に開放された上海には、列強諸国の〝租界地〟(租界とは中国主権の及ばない外国人居留区)が〝外灘〟に建設され、1945年の第二次世界大戦終戦までの約100年間存在しました。
〝租界地〟がたくさんある中で一番発展したのが上海です。アヘン戦争までは誰も知らない田舎の漁村だったのですが、開港により急成長し、20世紀初めには世界有数の国際都市になり、東アジアで最大の商業と工業の都市になりました。外灘の建物は、主に各国の領事館、銀行、商社、船会社、倶楽部などに利用され、中国の金融、経済の中心地として栄え、その華やかな大都会の様子は〝東洋のパリ〟と呼ばれました。建物の様式は、欧米の建築家がネオ・バロック様式やアールデコ様式等様々な様式で石造のビル建設が建設されました。現在も52棟の建物が黄浦江沿い1.5kmに建ち並び、欧州風の街並みを形成しノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。外灘5号には上海で最も有名はスパエステ〝バンド・ファイブ・スパオアシス〟があります。浦東の望む抜群のロケーションと技術に定評があり、上海在住の日本人女性や観光客にも大人気です。
アヘン戦争の敗戦で、列強諸国に対し開放を余儀なくされた当時の上海。しかし、皮肉にも海外に市場を開放したことで、欧米との貿易が拡大し、上海の発展に寄与したことも事実です。現在、上海の人口は約1700万人を数え、世界有数の経済都市として発展し続けています。〝外灘〟は今も昔も経済都市上海の象徴となっているのです。
2009年1月5日
福島県上海事務所 齋藤 康