駐在員雑感(第20回) 「老洋房」

  • 投稿日:2006.06.20
    • 002:職員コラム

先日、上海の総領事公邸を訪問する機会を得た。何度訪れてもこの建物は、歴史の重みがあり、人々を惹きつける魅力があると感じた。
この建物は、1900年頃、ドイツの銀行家が建てたと伝えられている。庭園付の欧風建築で館内にはロココ調の天井飾りやステンドグラスが飾られている。
1912年には、清朝末期の郵電大臣の「盛宣懐」の住居となった。
盛宣懐は、清王朝の官僚でありながら、1897年中国初めての中国資本による銀行「中国通商銀行」を創設した人物であり、上海交通大学の前身である南洋公学を設立した人物でもある。交通大学の中には彼の銅像が立っている。さらに、日本との関わりも強く、辛亥革命により失脚してしまうが、その後日本に亡命している。
また、戦前は、豊田佐吉が住んでいたとも言われている。しかし総領事館の方の話によると、いろいろ調べた結果、それは事実ではなかったようである。
上海にはこのように歴史上の人物がかつて住んだ西洋風の庭付き戸建て住宅「老洋房」が数多く残っている。孫文故居やその妻宋慶齢故居などなど。これらの多くは、上海市の中心部旧フランス租界地に残されており、一般にも公開されている。
総領事公邸や孫文故居のように、管理が行き届いている老洋房はたいへん美しい姿で現存しているが、残念なことに、無残な形で使用されたり、放置されている館も多いように思われる。
先日、放置されていたひとつの「老洋房」が、おしゃれな飲食店に生まれ変わった。
東京の建築設計会社が改装したもので、場所は上海市内の東湖路の東湖賓館の向かい。1996年頃までは幼稚園として使用されていたが、その後は放置されていたという。
案内してくれた設計会社の人によると、この洋館は築70年あまりで、上海の暗黒街のボス「杜月笙」の母親が住んでいた家とのこと。真実のほどは定かではないが、東湖賓館は杜月笙が建てたもので、彼自身も住んでいたことは事実である。確かに、この洋館はその東湖賓館と接している。もしかして、本当に杜月笙が何らかの形で関わり、歴史を刻んだかもしれない・・・・・・という雰囲気だけは十分に漂っていた。
建物の広さは2階建てで750㎡。外部はきれいに化粧直しされ、内部はとてもおしゃれに改築されていた。建物の中には70年前の建築当時のレンガがむき出しになっており、これが歴史を感じさせ趣がある。またひとつ、埋もれていた洋館が歴史の表舞台に登場したのだと、私はなんとなくワクワクする思いがした。
急ピッチで開発が進み、古いものが取り壊されている上海ではあるが、歴史ある「老洋房」がおしゃれに改装され、また新しく人が集うスペースに生まれ変わっている。
これらの「老洋房」は、今後も上海で新たな歴史を刻み、次の世代に受け継がれてゆくのだろう。

参考:上海日本総領事館提供「在上海日本国総領事公邸の歴史」

2006年6月20日
福島県上海事務所 安達和久

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